デジタルブックワールド2014報告:第2回 米国の高等教育における電子書籍事情
2014年2月5日 / レポート
text: OnDeck編集委員/中島由弘(Yoshihiro Nakajima)
2014年1月11日から15日にかけ、米国ニューヨークで開催されたデジタルブックワールド2014(DBW2014)では高等教育現場における電子書籍の利用動向が大きなテーマの一つとなっていた。日本でも昨年末(2013年末)あたりから、教科書会社や大学での電子書籍への取り組みが報じられるようになってきているので、先行市場である米国動向に関心をお持ちの方も多いことだろう。今号ではこのテーマに関連するコンファレンスの内容をレポートをする。
教科書市場は電子出版の技術が生きる市場
キンドルの発売後、iPadの登場もあって電子書籍が話題となった2010年ごろから、米国の電子書籍市場はフィクションやノンフィクションなどの分野の一般書籍がけん引をして、その市場規模も書籍市場全体の30%前後にまで拡大させてきた。しかし、2013年半ばくらいから、その成長率に陰りが見えはじめ、いままでの立ち上がり時期に特有の急成長時代は終わり、着実な成長軌道に入ったといえるだろう。
そして、つぎの電子書籍というパッケージ形態を適用する分野として期待されているのが教科書の分野である。ここでいう教科書とは幼児や子供向けのものではなく、主に高等教育向けの教科書、つまり専門書である。専門書分野が電子書籍(または、電子出版の技術)が適合すると思われるのには解決すべきいくつかの課題があるからだ。
- 専門書は発行部数が比較的少ないため、プリント版を発行するのは経済的に難しいことが多く、また価格も高価になりがちで学生の経済的な負担も増える
- 研究成果が急速に進歩する可能性があるので、何年か先まで見込み生産をしておくことは望ましくなく、適切に修正することが求められる
そして、プリント版ではできなかった表現(インタラクティブ性やアノテーションの共有化など)ができるようになると、学生の理解度を高めることができる可能性もある。
電子書籍であればプリント版の生産に由来するこうした課題を解決でき、さらに新しい表現を追加することで、これまでとは違ったアプローチでの理解を助けることが可能になると考えられている。最近ではオンライン教育などで、教育コンテンツを学内に閉じるのではなく、世界規模で、しかも安価に提供していくことも試みられていて、デジタルチャンネルでの知識の流通が教育格差の解消へも期待されている。
BISGによる電子教科書の意向動向調査から
米国の電子書籍市場に関する調査レポートであるBookStatを出版社の業界団体AAP(Association of American Publishers)とともに発行していることで知られているBISG(Book Industry Study Group)が電子教科書市場の調査レポートStudent Attitudes Toward Content in Higher Education(高等教育向けコンテンツにおける学生の意向動向調査)を発行した。DBW2014のコンファレンスではその内容の一部が紹介された。なお、この調査は2010年に始まり、最新版の2013年まで年に2回の調査を行い、その推移を調べている。
調査結果によると、電子教科書にニーズは着実に拡大をしている(資料1)。だが、プリント版教科書を好む学生は全体の半数を超えるが、電子書籍を好む学生も16%にとどまる。ただ、プリント版教科書を使っていても他のオンライン教材を複合的に利用する場合もあるので、デジタル化された教材はもはや特殊なものではないことが伺われる(資料2)。
一方で、講座が終了したのち、使用済みのプリント版教科書は売却をするという学生が多い(資料3)。これは先輩から後輩へ譲渡したり、古本市場で売却したりすることになると思われる。価格が高い専門書はタンスの肥やしにするよりも、費用が多少でも回収できることが重要なのだろう。もちろん、その後も有効に利用されることの方がよい。
また、米国の教科書の市場に特有な形態として、教科書のレンタルがある。講座を受けている期間のみ、使用料を払って借りるものだ。調査結果によると、プリント版の教科書レンタルが増えている。実は、amazon.comもプリント版の教科書レンタルのビジネスをしていて、そのシェアは拡大傾向にある。ここでもアマゾンが存在感を増している(資料4)。
一方で、電子教科書で懸念される不正コピー・不正入手の問題だが、少なからずその経験のある人がいて、その理由としては「教科書が高い(40%弱)」、「買うのに十分な経済力がない(35%弱)」、「せっかく買った教科書を教師が利用しない(30%弱)」などをあげている(資料5)。そのうえで、教科書が価値に対して適正な価格であると思う人は40%、そうでない人は55%とやや厳しい結果になっている。さらに、内容が古い版でも安価であれば購入したいという人が69%もいる(資料6)。
やはり、学生にとっての専門書は必要なものではあるが、日本よりも多様な経済環境に置かれている学生が多いと考えられる米国では“高価だ”と感じる割合も多いようで、教育現場としては解決すべき課題の一つではないだろうか。学生の置かれている経済環境に関わらず、意欲がある学生が十分な高等教育のチャンスを得られるためにも、できるだけ安価にする工夫はしていくべきだろう(資料7)。
つまり、こうした教科書の価格が高いという問題は専門性が高いことから部数があまり見込めないプリント版教科書を製造(印刷・製本・物流)するうえでのコストにあることは間違いない。デジタル化することによって、最新の知識が安価に学生に流通することは教科書市場にとって重要なことだろう。
ここで紹介した調査レポート「Student Attitudes Toward Content in Higher Education」の詳細情報:https://www.bisg.org/publications/student-attitudes-toward-content-higher-education
電子教科書市場の今後の課題
BISGの調査結果を踏まえながら、日本も含む、教科書市場の拡大を支える課題についてまとめておきたい。いま考えられる課題はつぎの点をあげられる。
- 教師によるセルフパブリッシングプラットホーム
- 教科書のためのファイル形式の標準化
- レンタル、譲渡などを含む教科書流通の仕組み
- タブレットなどのビューア環境の普及
教科書のセルフパブリッシングプラットホームとしては、これまでの分野の出版物ではあまりなかった組版表現、例えば複雑な数式や外部コンテンツとの相互参照などをどのように取り込むかは重要である。また、電子教科書用にいくつかの機能を拡張するファイル形式として、EPUBの標準化をリードしたIDPF(International Digital Publishing Forum)と教科書を扱う大手の出版社ピアソン社が協調して仕様策定を進めているEDUPUBの動向に注目だ。2014年中にも大きな動きがあるのではないだろうか。
さらに、電子教科書の流通の仕組みはこれまでの電子書籍書店だけではなく、電子図書館での短期の閲覧や貸し出しはもちろん、講座期間中のレンタルや学生利用者間での譲渡の仕組み整備も必要になるだろう。BISGの調査にもあるように、米国の学生は専門書を先輩から安価に譲り受け、それを後輩に譲り渡すという文化があるようだが、現在のDRMで守られた電子書籍の流通環境ではそれは難しい。単純にDRMを外せば解決するという問題でもなく、年間購読型(サブスクリプション型)など、これまでとは違ったアプローチでの解決策が必要だろう。さらに、ビューアとなるタブレットやPCなどの端末購入費用の負担の問題やソフトウエアやデータ形式の標準化も避けては通れない。
なによりも、肝心なのは学生の経済的な背景に関わらず、意欲のある人に高等教育を受けるチャンスを提供するということを実現するうえでも、電子書籍のみならず、電子出版技術(執筆・編集・制作・流通・製造)が利用されていることはとても重要なことだろう。
なお、前号で予定した内容を変更し、次号でも電子教科書市場について扱っていきたい。